一品経 いっぽんぎょう 人と文

写経するときに 法華経28品を品別に分担 平安時代の流行で美しく装飾。

 

わたしの時代は 文章というと印刷されていて 内容を批判的にみることが推奨され  また 大家、学者が批判する注釈をかたわらにおいて という不遜な習慣になじんできたので 善意にみち 疑いを知らない 経文への接しかたは 新鮮。しみじみと朗誦しつつ 大切に読み進む。 平安時代の仏教者は美しい。

 

そうすれば救われていたかもしれないが 毛沢東語録 コーラン スウェーデンボリ カント ヘーゲル 無門関 洪水のようにあった思想たち。資本論の第1品 商品論とか吟唱しつつほほえんだり どんな人生になったことであろう。

フランス革命で否定された 教会暦の美しさについて

年中行事 あるいは 教会暦 Annus liturgicus

 

信仰のあり方として 一日五回の礼拝のあるイスラム教 座禅ばかりしている仏教徒 祈りつづける修道院キリスト教徒 いままでそうする人々の気持ちを考えたこともなかったが、老人となり 信仰のあり方をあれこれ考えていると 瞑想を続ける人 祈りつづける人の世界が見えてきた。

宗教のさかんな時代の美しい風習。

一日祈りつづけるだけでなく 一週間にも変化をもたせ 一年の過ごし方にも形がある。みんなで共感し盛り上がりつつ。

 

キリストが復活した日曜日 キリストの死と復活を週ごとに祝う。

待降節 降誕節 四旬節 復活節 と一年は過ぎてゆく。

音楽的にも キリエ グロリア サンクトゥス など固定した部分と季節で変化するアレルヤ唱 詩編唱和 交唱 など。

私のような凡人であれば 退屈せず 信仰に生きている と体感できそう。もし西洋に生まれていたら 母もキリスト教のつきあいを大事にしてみせていたら ・・。

 

 

フィリピン 闘争の神学

ラテンアメリカの解放の神学

韓国の民衆神学

フィリピンの闘争の神学  共通する色彩がある

 

スペイン300年 アメリカ40年の支配でキリスト教は支配の手段であった。

植民地神学に対する闘い。民主化運動の精神。

 

宗教とは何か。

支配の正統化の手段 

 

(父)マルコス政権と対峙した闘争の神学

(子)マルコス政権との闘争はどうなるのであろうか。

 

 

 

放下 ほうげ ほうかと読めば中世の芸能者・自称禅家

放下 ほうげ すべてのものを捨離して解脱

放下 ほうか 放下僧 放下師 中世の芸能者 玉 刀を放下 半僧半俗 禅家を自称

 

解脱へ 放下することを 若いころ中年のころは尊敬し、憧憬していた。 今は もし現実にそうする人がいれば 無責任 いいかげん という後姿を感じる。

本当に放下する人がいるのであれば 大きな可能性がひらけている とも見える。

危険なおこないであるが 仏教では奨励され 定式化される。

 

中世芸能者の半僧半俗の存在 というのは 魅力を感じる。

謡曲を聴いても 確かに存在していたことがわかる。

現実は 経済的基盤が危ういから ひどいこともあった存在であろうか。

 

一遍 すべてを捨て 踊り念仏 

中世の仏教は 楽しげ 

そのような仏教に接したことはないのだが・・

仏法を主題としたコンテンポラリーバレエ 一遍の女 これがすごい美女 を先頭にした群舞 とか 見てみたい というより 後方で法悦しつつ踊りたい ? 踊れないなら放下してない ❕

 

ノルウェーのキリスト教

ノルウェーではキリスト教化に根強い抵抗があった。

地形から統一王権の成立が遅く、キリスト教の布教は進まなかった。オーラフ一世が995年ノルウェーを統一イギリスから司教を招き、改宗を強行。1537年デンマークノルウェーを支配、軍事力で宗教改革を断行。ルター派に改宗。

つまり ノルウェー人にとってキリスト教は王権からの支配の鎖か。

 

信仰の世界は政治とは別世界で 人々は信仰を好み 進んで仏教・キリスト教を受け入れ と思っていたが ノルウェーの歴史は そうではない という思考をさそう。

 

国家権力は人民の精神を眠らせる薬として宗教を用いている ノルウェーでは強制的な服用が繰り返された。新しい見方ではなく レーニンスターリンの「宗教はアヘンである」は有名。

 

国家権力と宗教の関係で 明治以降の日本のキリスト教はオモシロい。ノルウェーでは国王の選んだ一派のみの布教。日本のキリスト教は国家権力と結びついていない。アメリカから数派 ロシアから カトリックも 同時布教。奨励されたわけでなく黙認。戦時においては国家権力を批判。眠らせるのではなく覚せい剤。純粋宗教である。

 

 

朝課 

1568年の聖務日課書によれば 朝課 matutinum  とは

午前2-3時の祈り 

 

早朝の日の出のころの祈りは 賛課 laudes

 

第二ヴァティカン会議1971で 朝課は 読書 officium lections  と改められた。

読書 officium lections  は一日のうち いつでも唱えることができる というから

 読書 officium lections は日本的な読書というより聖書等を見ながらの祈りの吟唱なのであろうか。  読書 officium lections  の後はしばらく黙想 そして朝の祈り

 

従来の 賛課 laudes を 「朝の祈り」とし「晩の祈り」とのふたつが二大枢軸とされている。

東方教会では 夜半課 早課 朝課 となっていた。現在では朝の奉神礼となっている。

 

とにかく聖書によれば イエスは常に祈っていたのであるから。

 

信仰のかたち

ブッダが黙想して悟ったのであれば 座禅黙想。

エスが祈りつづけたのであれば  東方教会にならい 夜半課 早課 朝課 ・・・

末法の世に生まれても 老後にはそんな時間があってもいい。

 

vitasti いっちゃくしゅはん 一尺二寸 36cm の my 仏

仏像の大きさについて

拾遺往生伝中12 に 「ただ一生の間、造るところは彩色せる いっちゃくしゅはん (一尺二寸 36cm)の阿弥陀三尊のみなり」

 

信仰のかたち

現代のわたしは仏像というと 観光で疲れて遠望した奈良鎌倉の大仏 美術館での芸術作品としての提示 身近な寺の類型化し古く黒っぽいやや大型の仏像 個人宅では仏壇の奥の小さな木彫。どれもしっくりこない。

仏教の信仰の盛んであった中世においては 36cm程度の小型で彩色した仏像を自作していた らしい。身近に置いて大切にしていたようである。実感がありそう。