仏教では 愛は煩悩の一種として否定されている。愛は執着であり、愛は抑制すべきもの と私は理解している。
ただ日本の大家には 密教では男女の交会は涅槃? 本居宣長は愛って最高と評価。
”人のこころの感ずること、恋にまさるはなし” 宣長「玉の小櫛」
”愛は人の存在にまったく異なる次元をひらく
愛がなければ 人は論理の世界に閉じ込められたままになる”
和尚 OSHO インドの人1931~ 1990
愛を含む煩悩の炎を消し 無。
無はなぜ尊いか。自由な出発 創造ができるからである。
つまり 愛を否定すべき局面もあり 輝ける存在と見上げる局面もある。