7 清浄な伽藍は おさげの少女

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趙州録 14段

学僧の問 「清浄な伽藍とは?」

趙州   「おさげの少女」

僧    「伽藍の人が?」

趙州   「純真な少女も妊娠することがあるよ」

 

Translation for Erika and Walter

 

Monk " How about clean grand temple?"

Priest " A girl wearing her hair in pigtails."

M "A stuff in temple?"

P. "Neat and clean, but in some cases, She gets pregnant."

 

The days of priest 趙州 778-897 , chinese goverment oppressed Buddhism. Temples were destroyed at large scale. 

The priest 趙州 kept Buddhism without authority of grand temple. He thougut temple as school where imperfect monks lived.

 

 

Y角 あかく あげまき 童子の髪型

 

趙州の時代 大きな寺の壮大清浄な伽藍はどのように意識されていたのか。

趙州 じょうしゅう 778 ~897  。唐末 華北は戦乱で疲弊。趙州の言葉として「私の寺は避難所のようなもの。仏法は南方に。」

 

 

907年の朱全忠の乱で唐は滅亡。この会話はそのちょっと前の時代。

844年 唐の武宗 仏教弾圧 会昌の廃仏  寺院を壊し僧を廃した。大規模、徹底的で仏教側は未曽有の打撃をうける。

 

趙州和尚の寺院観

第33段

役人と趙州の会話

官「仏像を焼かれたら僧はダメになるのか?」

趙「寺院の僧たちはできあがってないのだから 良いきっかけだな」

 

趙州は寺、寺の僧たちを完成されたもの 聖なるもの とは見ていない。

清浄な大伽藍 それは学生服の少女のようなもの という14段の趙州の言葉。清浄ではあろうし それをこころざしているのではあろうが その途上にあるもの との見方。会昌の時代 政府の手で寺院の壮麗な伽藍は焼きつくされたが 趙州によれば それは良いきっかけ。

仏教弾圧のあった唐末の乱世が終わると 宋の時代となる。