在家の雑事多忙な人のための言葉
水急にして 月を流さず
Translation for Erika and Walter
"Rushing stream
donn't pour out moonlight."
The surface of the water is quiet.
In the heart of a mountain, clear stream.
若き日 冬に永平寺に参禅
廊下を通りつつ 一泊研修か 背広のまま座禅をしている人を見た。一生懸命は伝わってくるが 汗がひいてない感じ。
水急
多忙な 在家の人の心 それが澄みわたる
禅には二種類の光のあてかたがある。
僧の禅 在家の禅
現在では中世の僧侶のための禅の奥伝が活字になっており 在家が精読 理解しようとする と 「無門関」読み終えて 私でも禅僧は演じられそうな気がする。私など悟りからは程遠い。在家は在家に適した禅の言葉を探さねばならない。それが「趙州録」。
寿司の本 寿司職人のための寿司の握り方 / おいしい寿司の選び方 二種類。
日本の仏教の在り方 始点にある聖徳太子は三つの経典を選定
法華経 熱狂的な仏教流布のススメ
勝鬘経 しょうまんぎょう 女性在家信徒の雄弁
在宅 女性 を重視。
中国朝鮮の仏教の中核となった華厳経が入っていない。奈良時代以降の僧侶による仏教探求では維摩経 勝鬘経は重視されていない。しかし在家の仏教は社会的には主流で たとえば 源氏物語の光源氏と紫の上の仏教対話も出家は選ばれていない。
在宅で雑事に追われながらも 心は澄み切って
この言葉は趙州録の言葉ではありません。
「シリンホウクン」(シリン 変換不能文字 寺院のこと 宝訓)宋時代 択賢編集 孤山円法の言葉 字は吉川蕉仙のものを参考にしました。それを引用した方がすっきりしそうですが、著作権法上まずいのでしょうか。
趙州は 在家の仏道について
趙州録139段 馬大夫問ふ で在家・高官の馬への言葉として
馬「私はこれまで修行ができなかった。すでに私は高齢であるし。」
趙「あなたは修行した境地にある。人々が飢えている、極寒の地、酷暑の地であなたは人々から慕われていた。あなたは修行のできた人と同等です。」
馬は泣いて礼拝した。 とあります。
趙州録 107段
問 悟った人には名刀をふるうような快感 があるのでしょうか?
趙 老僧が剣です。それをふるって快感をえるのはみなさんでしょう。
僧侶の役割 社会的機能 考えさせられます。