3 水急にして 月を流さず

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在家の雑事多忙な人のための言葉

水急にして 月を流さず

 

 

Translation for Erika and Walter

"Rushing stream 

donn't pour out moonlight."

The surface of the water is quiet.

In the heart of a mountain, clear stream.

 

 

若き日 冬に永平寺に参禅

廊下を通りつつ 一泊研修か 背広のまま座禅をしている人を見た。一生懸命は伝わってくるが 汗がひいてない感じ。

水急

多忙な 在家の人の心 それが澄みわたる

 

禅には二種類の光のあてかたがある。

僧の禅 在家の禅

 

現在では中世の僧侶のための禅の奥伝が活字になっており 在家が精読 理解しようとする と 「無門関」読み終えて 私でも禅僧は演じられそうな気がする。私など悟りからは程遠い。在家は在家に適した禅の言葉を探さねばならない。それが「趙州録」。

寿司の本 寿司職人のための寿司の握り方 / おいしい寿司の選び方 二種類。

 

日本の仏教の在り方 始点にある聖徳太子は三つの経典を選定

法華経 熱狂的な仏教流布のススメ

維摩経 維摩 ゆいま は大商人 奥義に達した仏弟子

勝鬘経 しょうまんぎょう 女性在家信徒の雄弁

在宅 女性 を重視。

 

中国朝鮮の仏教の中核となった華厳経が入っていない。奈良時代以降の僧侶による仏教探求では維摩経 勝鬘経は重視されていない。しかし在家の仏教は社会的には主流で たとえば 源氏物語光源氏と紫の上の仏教対話も出家は選ばれていない。

 

在宅で雑事に追われながらも 心は澄み切って 

 

この言葉は趙州録の言葉ではありません。

「シリンホウクン」(シリン 変換不能文字 寺院のこと 宝訓)宋時代 択賢編集 孤山円法の言葉 字は吉川蕉仙のものを参考にしました。それを引用した方がすっきりしそうですが、著作権法上まずいのでしょうか。

 

趙州は 在家の仏道について

趙州録139段 馬大夫問ふ で在家・高官の馬への言葉として

馬「私はこれまで修行ができなかった。すでに私は高齢であるし。」

趙「あなたは修行した境地にある。人々が飢えている、極寒の地、酷暑の地であなたは人々から慕われていた。あなたは修行のできた人と同等です。」

馬は泣いて礼拝した。 とあります。

 

 

  

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趙州録 107段

問  悟った人には名刀をふるうような快感 があるのでしょうか?

趙  老僧が剣です。それをふるって快感をえるのはみなさんでしょう。

 

僧侶の役割 社会的機能 考えさせられます。